バンドでプロデビューを夢見て上京、残ったのは借金だけ【体験談】
私がカードローンと縁を持ってしまったのは、夢を見て上京した東京でのこと。
バンドを組んでいた私は、バンドのメンバーと共に上京してバンド活動をしていました。
ライブの為に、急にバイトを休まなくてはならないこともあり、バイトが長続きせず軽い気持ちでカードローンに手を出すことに。
最終的には、バンドを解散して地元に帰った私に残されたのは借金だけだったのです。
目次
【体験者の情報】
氏名:外村一馬
性別:男性
年齢:24歳
職業:フリーター
年収:200万円
お金を借りる動機説明:バイトをクビになってしまったために生活費の補てんの為
利用したカードローン:プロミス
【次の月までの補てんのつもりが、どんどん自分に甘く】
最初にカードローンに手を出すきっかけになったのが、飲食店のアルバイトをクビになってしまったことです。
バンドをやっていた当時はライブに出演する為に突然バイトを休むことも多く、バイトが長続きしませんでした。
若かった当時は、バイト代を貯金しておくと言う考えはなく、毎月入ったアルバイト代は使いきる生活。
当然、急にバイトをクビになってしまうと、途端に生活に赤信号がともるようになってしまいます。
そんな中、次のアルバイトが決まるまでの補てんが出来れば、と言う思いで プロミス の店頭に行くことになってしまいます。
最初は次のアルバイト代が入ればそのまま返済するつもりでした。
しかし、自分に甘かった私は、そのままずるずると借金を増やしていくことになるのです。
【初めての利用の際に安心してしまった】
私がプロミスを初めて利用した当時と言うのは、今ほど消費者金融の業者にクリーンなイメージはなく、どことなく恐ろしく感じていました。
特に田舎から上京してきた私ですから、上京する際に母親に「借金だけはするな!」と口を酸っぱくして言われていたのも手伝って、抵抗があったのは事実です。
しかし、次のアルバイトが決まるまで、自分の手持ちの現金は数千円。
ライブの予定も決まっており、貸しスタジオの料金やライブのチケットノルマ代も工面しなくてはなりません。
そんな中、訪れたのが近隣の駅の近くにあった プロミス です。
自分の抱いているイメージから怖いお兄さんが出てくるのだろうな、と心配しながら店内に。
プロミスの店内に入ると、自分が抱いていたイメージは全く崩れ去ってしまいました。
明るい店内で、出迎えてくれたのは礼儀正しい女性社員。
来客用のコーヒーカップでコーヒーを淹れてくれ、終始「お客様」扱いをしてもらったのを覚えています。
この「プロミスに対する安心感」が自分の甘さを助長してしまったのです。
【え?毎月それだけの返済で良いの?】
初回の借入額として希望したのは3万円でした。
この時はまだ次のアルバイトが決まるまでの繋ぎに、と考えており、アルバイト代で一括返済出来る金額だけ借りようと思っていたのです。
しかし、担当してくれた方の「初回ですので、できれば10万円から…」と言う言葉に促されるまま、10万円を借りることになりました。
当時は気にもしていませんでしたが、貸金行法も変わる前でしたので金利は25%前後であったように思います。
10万円を借りた私が感じてしまったこと、それは「10万円借りても、月々3000円返済するだけで良いんだ」と言った考えです。
月々3000円の返済とは、最低限の返済金額で5年間毎月払い続けた場合の金額。
完済時にプロミスに支払わなくてはならない金利は8万円にもなります。
その当時は、そんなことも考えつかないほど金銭感覚に甘く、自分にも甘かったために失敗を重ねていくことになります。
【10万円だけのつもりが、15万円・20万円と増えていき…】
こうして10万円を手にした私ですが、本当に必要なお金はわずか3万円。
残りの7万円は「予備」として持っておき、次のアルバイト代が入ったら一緒に一括で返済すればいいや、と簡単に考えていました。
この時に本当に7万円を返済に回すつもりなら、その場でプロミスのATMで返済をしておくべきだったのです。
若く遊び盛りの私が、手元に余剰のお金を持っていて節制が出来るハズもありません。
今日だけ、今晩の食事だけと外食をし、ライブの衣装を新調したりとしているうちにあっと言うまに3万円はおろか、10万円全額を使い切ってしまいました。
いかに自分に甘かったか、と言うのがこの時にまだ次のアルバイトの目途は立っていませんでした。
プロミスで初回に設定された限度額は20万円。
あと5万円だけ、もう1万円・もう1万円と、コンビニのATMで引き出しの出来るプロミスのカードを、自分のキャッシュカードのように考えてしまっていたのです。
20万円の限度額がいっぱいになるのも、そう時間は必要ありませんでした。
【アルバイトは決まったものの、さらなる借金を重ねる】
限度額がいっぱいになり、 プロミス のカードも使えなくなった私にも新しいアルバイト先が決まり、毎月プロミスに最低の金額だけを返済する日々でした。
使えなくなってしまったら仕方がないもので、アルバイト代の中からプロミスへ返済しながら、何とか生活をしていました。
そんなある日、携帯電話にプロミスからの着信があったのです。
要件は「50万円まで増枠することが出来ますが、30万円を口座に振り込んでおきましょうか?」と言うものでした。
当時は、今ほど消費者金融に対する法律も厳しくなく、そう言った利用促進の為の電話も当たりまえのもの。
特に差しあたって生活が出来ていたのですから、借りなければ済むものを愚かな私はこう思ってしまいます。
「これで、贅沢が出来る」と、当然のようにプロミスの申し出を受けることになります。
その30万円の用途と言えばいわずもがなで、カードローンでのキャッシングを自分のお金と錯覚してしまっていた私のことです。
自分と同じようにお金が無いバンドのメンバーに食事をおごり、ライブの打ち上げの費用を出したりしているうちに、あっと言う間にお金は底をついてしまいます。
【毎月最低の金額を返し、元金をまた借りるアリジゴク】
50万円の借入となると、毎月の返済額も最低でも15000円からになります。
15000円返しても元金に充当されるのはわずかに4000円だけ。
その4000円をこつこつ返済していれば借金は終わるものの、元金が10000円を超えると「ああ、1万円貯まった」と思ってしまい、また借り入れをしてしまいます。
全く元金が減ることのないアリジゴクのような返済は、バンドを解散して地元に帰るまで続くことになります。
【田舎に帰って残ったのは、借金だけ】
夢が破れて地元に帰り、私の中に残ったのは「全く減っていない借金」だけでした。
今思えば、自分への甘さで増やしてしまった借金ですが、そんな甘いメンタルでバンドも成功するハズがありません。
ストイックに自分に厳しくできなかった私の甘さが、バンドの失敗と借金と言う結果を残すことになるのです。
さて、東京で作った借金の顛末ですが。
地元に帰っても、すぐにアルバイトが決まることはなく、親に借金がばれてしまうのにもそれほど時間はかかりませんでした。
当然、怒られもしましたが、親にバレてからは返済の金額、そしてプロミスのカードを親に管理してもらい、無事に完済することが出来ました。
親には心配をかけてしまいましたが、まさに自分の甘さが引き起こしたもの。
キャッシングで借りたお金は、自分のものではない、と言うことをわかっていなかったのですね。